平安時代を描いた映像や書籍の中で表現される扇で顔を隠す表現。それは女性ばかりなのかと思えば、男性の貴族であっても顔を隠しています。
表現の大小、扇子の大きさなどに違いがありますが、それでも男女とも、平安時代の貴族は扇で顔を隠す習慣がありました。
何故?って気になりますよね?
例えば現代、日常生活の中で扇子を使って顔を隠す場面に遭遇するのか?と言われれば、多くの人はNOと答えるでしょう。
その理由は文化が衰退したからなのか?必要性がなくなったからなのか?それともまったく予想外の理由なのか?など気になる視点から事実をまとめてみました。
扇子で顔を隠す文化は何故生まれたのだろうか?
扇子で顔を隠す時の事、その状況を想像してみましょう。シンプルに考えてみましょう。
例えば今あなたが、扇子を使って顔を隠したくなったとしましょう。それはどんな時でしょうか?
見られてはいけない顔をしているor見せてはいけない顔をしている
色々と余分な状況をなどを削ぎ落としていくと、この2つになりますよね?
鼻水がジュルジュルと流れていて、それを隠すマスクもなければ、それを拭き取るハンカチもない、もちろんティッシュもない状況であれば、扇子で隠してしまおうと思うのではないでしょうか?
逆にある日突然、見るだけで人を石に変える力を持ってしまい、目の前の人を見てしまうかもしれないと恐れていたら、そりゃ扇子で隠したくもなるでしょう。
腫れてしまった顔も泣き顔も、片眉を剃り落としたった顔もほくそ笑む顔も、見られてはいけない顔でしょうし、ミミッキュとして暮していかなくなった時は、見せてはいけない顔になってしまうでしょう。
平安時代の貴族の皆さんだって同じです。見られてはいけない顔をしているから、もしくは見せてはいけない顔をしているから扇子を使って顔を隠していたわけです。
これって文化なのでしょうか?それとも貴族の作法なのでしょうか?
貴族と同様に民衆の間でも扇子で顔を隠したという話は聞かないことから、貴族特有の作法であったと考えられます。したがって、平安時代の文化とは言い難いです。
では貴族特有の作法であったとして、なぜそうした作法が生まれ、確立されたのでしょうか?
続いては、作法が確立された理由を探る意味でも、扇子で顔を隠す必要性についてまとめます。
平安時代の貴族が扇子で顔を隠す必要があったのは何故か?
平安時代の貴族は扇子で顔を隠す必要があり、独特な作法が広まったと仮定するならば、必ずそこには理由があるはずです。
先程触れましたが、意味もなく扇子で顔を隠すことはありません。では、何故顔を隠したのか?それは平安文化が根底にあります。
- 白粉ってありますよね?
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例えば、清少納言や紫式部の肖像画。今で言うと、舞妓さんや歌舞伎役者さん。真っ白い顔をしていますよね?
もっとも、現代の白塗りと平安時代の白粉とではまったく成分が違います。
平安時代のことに使っていた白粉は、身体に害のある鉛が使われており、鉛中毒を起こす事が多かったとされます。この歴史は、江戸時代を経てもまだ続き、昭和初期まで続きました。
平安時代の白粉は、薄暗い灯りの下でも目立つ目的があったとされ、そうした理由から、女性だけではなく男性貴族も顔を白く塗っていたと考えられます。
- 白粉を塗ると何が起こるのか?
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当時の白粉がどういった性質の物であったのか?正確なところは分かりませんが、顔の表情を豊かにすると割れてしまう物であったと言われています。
その為、現代のように大きな口を開けて笑うことが出来ず、よく映像や書籍で描かれる様な、「ほっほっほっ」と言った笑い声になりました。
そしてこれが、扇子で顔を隠す理由の一つです。
- もしもヒビが入ってしまったら?
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扇子で顔を隠すもう一つの理由として、不意な出来事で笑ってしまった事により、ヒビが入ってしまった場合への対処が挙げられます。
その為、常に扇子で顔を隠しておく事で、ヒビが入ってしまっても隠し通していたと考えられます。
平安文化の中で、切っても切れない白粉文化。これが扇子で顔を隠さなければいけない明確な理由でした。
なお白粉は、平安以降も使われ続けていましたが、意味合いが変化しており、鎌倉時代には化粧として、上流階級や公家が習慣的に行っており、徐々に女性の化粧と言う意味合いが強くなってきて、江戸時代には完全に化粧として白粉が使用されていました。
白粉の影響以外に扇子で顔を隠していた理由はないの?
白粉の影響により扇子で顔を隠していた平安貴族。
しかし、そうした分かりやすく明確な理由以外に意味はないのでしょうか?例えば、扇子で顔を隠すことにより、災いを防いでいたとか。
説の中には魔除けとか災除けとかもあるようです。
平安時代と言えば、陰陽師がまだまだ表立って活躍していた時代ですからね。そうした、今で言うところの非科学的なことも理由の一つにはあったのかもしれません。
なお平安時代の女性貴族は、扇子の他にも、御簾や屏風、几帳など様々なもので姿を見せない様にしていました。
それは身分が高ければ高いほどそうした傾向にあり、顔を見せる事自体、恥ずかしい物とされていたわけです。
その為、扇子は移動する際に顔を隠す小道具のようなもので、白粉の影響以外の理由としては、そもそも大人の女性は人前で顔を見せることがなかった!という事も挙げられます。
ちなみに貴族の女性たちは扇子を持つ時、着物の上から持っていました。つまりは、手のひらも見せる事がなかったのではないか?と思います。
またこの頃の着物は、現代のように厚手の生地ではなかった為、着物の上から扇子を持つことが出来ました。
この様に平安時代の貴族にとって、扇子は欠かせないアイテムであったと想像できます。
そんな昔から使われてきた使われてきた扇子を、これからも大切に使って行きたいですね。